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*1: 脚注.よ〜するに,こ〜ゆ〜やつです.

我が娘

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生後2ヶ月半。体重 800g。

某日 NICU にて
某日 NICU にて (72 KB)

思い起こすこと約2ヶ月半前の某日の深夜。

妻が突然腹痛を訴える。数分で出血が始まり、救急車を呼ぶ。到着を待つ間も出血は続き、我が家は何かの事件現場さながら。今思えば、ルミノール反応をみればさぞかし綺麗だったことだろう。

病院で一旦落ち着き、そのまま入院。しかし、翌晩再び出血。NICUがある病院に転送された。

手術準備の間、執刀する産婦人科医より説明を受ける。胎盤剥離の可能性が極めて高く、母子ともかなり危険な状態とのこと。当然止血は試みるが、程度によっては子宮摘出もあり得る *1とのこと。また、輸血はまず間違いなく必要になるだろうとのことだった。説明は非常に的確で、とても信頼感があった。

手術室に続々と人が集まり始める。産婦人科をはじめ、小児科や麻酔科。総勢十数人はいただろうか。麻酔科医 *2が「夕食を食べているので、十分に麻酔の効果が出るかどうかが心配」というようなことを言い残していった。

手術時間がどのくらいになるのか全く聞かされていなかったため、1分1秒がとても長く感じる。たまたま持っていた本を読み始めるも、全く頭に入ってこない。ただひたすら待つしかなかった。

1時間半程して、先に我が子が出てきた。自発呼吸できるわけもなく、保育器内で挿管されていた。初めて我が子を目にした感想は、外でもなく「小さい...」だったことを覚えている。それほどまでに小さかった。小児科医に「おめでとうございます」といわれたような気もするが、めでたいのかどうか全く分からなかった。

さらに待つこと1時間。てっきり妻もすぐ出てくるものかと思っていたので、これもとても長く感じた。

先に産科医が出てきた。やはり胎盤剥離を起こしており、切開したとたんに血が噴き出したという。幸い止血に成功したため、子宮摘出は不要だったとのこと。とにかく、妻が生きていたことに大きく安堵した。後で聞いたところでは、総出血量は 2,400cc だったとのこと。これがどのくらい多いのかは知らないが、尋常な量ではないのであろう。

妻が手術室から出てきた。覚醒はしているものの、麻酔のためか貧血のためか、あまりはっきりした意識はなかった。何か会話をしたような気もするが、その内容は覚えていない。たぶん、生まれた子供のことだったのだろう。

産科病棟に戻り、術後処置のあいだ、廊下のベンチでまた待つ。とにかく、子と妻が生きていることに、ひたすら安堵の涙を流していた。深夜1時頃、一人でひたすら泣く男の姿は、さぞかし奇妙だったに違いない。

処置も終わり、妻に会う。看護師に言われていたとおり、極度の貧血で意識が朦朧としているが、子が無事であるとことを改めて伝える。

これまで40時間以上寝ていないことになり、廊下のベンチで仮眠をとってもよいか看護師に尋ねたところ、面談室のソファーを使ってもよいとのこと。枕と布団代わりに、大きなタオルを数枚貸してくれた。精魂尽き果てた状態だったので、大変ありがたかった。

1時間ほどして起こされる。小児科医から説明があるという。出生体重は 500g ちょっとで、超低体重出生児に分類される *3こと。必要な治療について。生存の可能性。今のところ大きな異常は見あたらないこと(もっともこの時期の出生自体が異常ではあるが)。生存したとしても合併症による後遺症の可能性。順調に進んでも、退院は来春あたりになることなどなど。ちなみに、生存の可能性はほぼ五分五分で、特に最初の1ヶ月が危ないと言われた。

引き続き面会。レスピレータにつながる管を始め、モニタにつながるケーブル、点滴などあらゆる管や線が生えている。やはり、小さい。ただ「頑張ろう」と声をかけることしかできなかった。

翌日、まだ妻の意識は(術後よりはましになったものの)朦朧としている。輸血も続いており、娘に負けず劣らず色々な管や線が生えていた。もっとも体が大きい分、(娘に比べれば)あまり目立たなかったが。

程なくして、妻が一般病棟に移る。祝い膳なるものを不味そうに食べていた。一般的に病院食は不味いと言うが、それは照明によるものが多分にあると思う。照明を変えれば、きっとその病院は人気になるだろう。もっとも、いま病院が欲しいのは、患者ではなく医者だとは思うが。

この時期大変だったのは、妻が自分の身に起こったことの大変さを全く気にしていなかったこと。「気にしていなかった」というより「知らなかった」と言うべきか。大部屋だったので、出産前の妊婦がたくさんいる中で説明するわけにもいかず、何でも自分でやろうとする妻をなだめすかすのが大変だった。結局その説明は、退院時に産科医からなされ、それを聞いた妻から他人事のように「大変だったらしいよ」といわれて、ただ苦笑いするしかなかった。

名前を決めたり *4、書類手続きをしたり *5しているうちに、瞬く間に日が過ぎていった。

その日々に比べれば、今は平穏だ。もちろん、命の危険がなくなった訳ではない。一度、腎不全を起こしヒヤリとしたことがあった。また、未熟児網膜症のためレーザー治療も行った。視力がどれだけ残るのか、また治療が一度だけですむのか心配ではあるが、それは心配しても仕方がないことでもある。なるようにしかならないのだから。

生まれたときは猿どころか宇宙人にすら思えた姿は、次第に人の姿になり、危ないと言われていた1ヶ月を乗り切り、体中から生えていたあらゆる管や線は減っていき、抜管後に頻繁に起きていた呼吸停止の回数も減り、そして時折見せる娘の笑顔はこの上なく愛おしい。

いまは自らの力だけでは生きていくことのできない状態、ましてやどのような後遺症が残るかも分からない状態で、人の手により無理矢理生かすことが、娘にとって結果的によいことになるかどうかは分からない。だが、私たち親は心から愛おしく思うし、心から生きて欲しいと願う。だから、とりあえず生きてみて欲しい。精一杯生きてみて欲しい。

我が娘は、生まれて2ヶ月にして、既に沢山の人に助けられている。たぶん、何事もなく生まれた場合よりも沢山。そして、これからも沢山。そのことを知っていて欲しい。そして、それらの人々への感謝の心を忘れず育ってくれればと思う。

そしてそれは、我々両親も同じだ。病院のスタッフを始め、会社や上司、同僚、我々の両親、金銭的には保険組合や区、国... 多くの人に助けていただいている。感謝してもしきれないとはまさにこのことで、とても感謝している。今後も迷惑をかけることになるかもしれないが、それは容赦いただければ幸いである。

最後に一言。この件に関して、私への過度の遠慮は配慮は不要である *6。現実を正しく認識しようと努力しているところなので、むしろ意図的に話題を逸らしたり、大した根拠もないのに「大丈夫だよ」と励まされる方が困る。場合によっては、不快な顔をすることがあるかもしれないが、視点や背景が違うのから仕方ないことであり、気にしないで欲しい。私も根に持ったりはしないだろう。我が儘を十分承知の上で、ここにお願いする。


*1: ちなみに、このことは妻には(意図的に)話されてはいなかった。
*2: だと思う
*3: ちなみに、1500g 未満なら極低体重出生児
*4: 候補すら考えていなかった
*5: 調べてすらいなかった
*6: 実務上の配慮は、多少していただけるならば有り難いが。

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